40代は絶望期

自律神経

 好きなことをするには、体力が必要。それに気づいてから、食生活を見直して運動を始めて、少しずつ体力がついてきました。しかし、それからもやりたいことを思う存分やれず、寝込むことも相変わらず。何より、幸せを感じられず、日々つらく感じるばかりだったのです。

  こんにちわ。おなじみ、東京亀有楽陽堂鍼灸院。そこで美容と健康部門のセラピストをしています、紫檀(したん)です。(私のプロフィールはこちら
 私の経験談を話すことで、みなさんの役に立てば、というお話、5話目です。

 第1話
 第2話
 第3話
 第4話

やりたいことをやっても不幸な日々

 好きなバンドのライブに行くために、食生活を見直し、運動を始めました。とはいっても、その頃の食生活は、まだまだ知識不足で、間違っていたことも数多くありましたが。
 とにかく、無事、バンドのライブに行くことができ、素晴らしい体験をすることができました。
 それから、少し体の調子がよくなってきたことで、好きなことをやれるようになった、と思いました。

 しかし私のプライベートは、まだまだストレスだらけでした。

 やりたいことがあって、少しはできたとしても、思う存分にできなかったからです。

 その頃の私は、『やりたいことをやれること=幸せ』と思い込んでいました。

 幸せって、やりたいことをやれることではないの?と思う方もいるかもしれません。

 しかし、やりたいことをやることが幸せ、としてしまうと、やりたいことをやっていない間は不幸せだと感じてしまうものです。

生きがいを突き詰めても幸せになれない日々

 その頃の生きがい、というのは、パソコン、でした。

 一昔前、『iMacブーム』が来たのを覚えていらっしゃる方もいるでしょうか?
 その頃に、手軽にパソコンが手に入ったのをきっかけに、独学でパソコンが使えるようになりました。
 一通りのPC操作を始め、代表的なアプリケーションが使えるようになりました。元々機械系が嫌いじゃなかったんです。

 それは、「これからパソコンの時代が来る!」と予見していたわけではなく、元々細かい作業が好きだったのと、様々なことができるパソコンで様々な創作活動ができるのが楽しかったから。

 はじめは自分の趣味として文章やデザインをしたりする創作を楽しみつつ、やがて人に頼まれたメニューやPOP作りをするようにもなりました。

 が、根を詰めてやり過ぎたことで、偏頭痛を起こすようになったのです。

 それでも、やりたいことなので、目の奥が痛くなっても、食事をする時間になってもやりこんでいました。
 主人からも心配されたり、時には家事をおろそかにするくらい熱中してしまうくらい。
 今にして思えば、他に幸せを感じたり、自分はできるという自己有用感も、創作物が完成する達成感も、楽しみを感じることもなかった私には、それしかなかったんです。

 立派な、依存症の精神状態ですね。

 しかし、偏頭痛などで体調を崩すために思うようにできない。今度はそれがストレスになりだします。

 それは間違いなく、『このままではダメだよ』という心と体のストップサイン。

 それでも、ずっとやっていたかったのです。

 これを仕事にできれば、他ではできない自己表現も、満足感も、達成感も得られる、という目論見もありました。

 そのため、PC作業をやれるだけやって、寝込む。
 治ったらまた根を詰めてやって、寝込む。

 ということを繰り返していました。

 結局、実際に度々依頼を受けて、お小遣い程度には報酬をいただくまでになったのですが、十分な収入を得るほどの量をこなすことが難しいと判断し、PC作業をメインの業務内容にする仕事はできない、と断念しました。

 このころの私には、唯一の楽しみで、唯一自分が胸を張ってやれると思えることだったのに。

 それが思い通りに行かず、一気にまた自己肯定感がさがり、PCを触っていない間は、楽しいことがなにもない、という状態になりました。

趣味をやっても幸せになれない日々

 また、趣味の面でも、パソコンよりもずっと後に始めた、ギター。
 元々音楽が大好きだったのと、たまたま主人がアコースティックギターを始めて、それを興味本位で少し触っているうちに、半年くらいで主人よりギターが上達しました(笑)。
 主人と一緒だったのもあり、盛り上がってバンドを組んで半年に一回くらいライブしよう!という風にもなりました。

 これは運動不足解消の助けになりました。

 ライブすることを目標にしているので、数キロあるギターを肩からぶら下げた状態で、立った状態で数十分演奏するために、数時間の練習をするのです。

 これもだいぶハマってしまい、時間を忘れて数時間ぶっつづけて練習するのがザラだったので(一番やっていた時には一日6時間くらい)、これで本当に体力つきました(笑)。

 しかし。
 一人で家で練習しているだけだったらよかったのですが…。
 バンドを組んだ頃には、看護師としてフルタイムで働いていました。

 フルタイムの仕事、家事、数時間のギター、そして月に1~2回のスタジオ練習、となると、これまたオーバーワークです。

 ほんとに、当たり前なんですが。

 それでも、やっぱりそれ以外はストレスだらけの日常だったため、それがPCと同じく数少ない楽しみだったんです。

 主人にとっても、パソコンよりは体に悪くないし、一緒に楽しめる趣味なので歓迎されていました。
 「ギターをやってる時が一番輝いてる」
 と言われるくらいだったのですが…。

 やはり、体力的に持たなかったのでなんとか時間を確保しようと考えたのですが、仕事の量を減らすとお給料に影響するので減らせないし、減らすのはギターの練習時間しかない。
 でも、一日5~6時間練習してたからこそ上がったギター技術は、一日2~3時間では維持もできないんですね…。
 それで練習不足のままステージに上がっても自己肯定感はさがるだけで。
 「もうやだ!」と逆ギレ気味に、ギターから離れることになりました。

 この時、私の中では「お金がないから、仕事をしないといけない=時間がなくなり、やりたいことができない=不幸」という思考ができあがっていました。

やりがいも趣味も奪われる人生か

 こうして、やりたいことが思う存分にできない、という体験を何度もすることで、自分の時間を制限するもの(仕事や、日々の暮らしや、家事育児にいたるまで)は、全て憎い気持ちになっていました。
 今思うと、順番が違う、という話なのですが、それは裏を返すと、仕事でも、日常でも、喜びや幸福感や安心感などのポジティブな感情を抱くことができなかったことの現れでもありました。
 そもそも、私は子どもの頃から「日々の幸せ」というものに目を向けたり、感じるという機会がなく、やりたいことが制限される体験が多く、日々や人生を考える、楽しむ、ということを知らないまま大人になっていたのです。

 そして、やりたいこともできず、気づいたらもう青春は終わった年齢。周りにあるものはストレスと義務しかなく、調子が悪い、くたびれたオンボロの体。

 私は静かに絶望していたのです。

続きをお楽しみに!


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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