”私”の誕生

自律神経

 やりたいこともできず、気づいたらもう青春は終わった年齢。周りにあるものはストレスと義務しかなく、調子が悪い、くたびれたオンボロの体。そんな状態で40代に突入。
 そのとたん『泣きっ面に蜂』の見本のように、追い打ちをかけたのは、離婚危機、でした。

 こんにちわ。おなじみ、東京亀有楽陽堂鍼灸院。そこで美容と健康部門のセラピストをしています、紫檀(したん)です。(私のプロフィールはこちら
 私の経験談を話すことで、みなさんの役に立てば、というお話、6話目です。

 第1話
 第2話
 第3話
 第4話
 第5話

自己否定で精いっぱいだった30年

 私には、物心ついた頃からずっと抱えていた想いがありました。
 「私には取り柄がない」
 「私には能力がない」
 「私は欲しいものは買えない」
 「私はがんばらなくちゃいけない」
 「私は遊んではいけない」
 「私は我慢しなくちゃいけない」
 「私は働かなければいけない」
 「私は苦しくつらい人生を歯を食いしばって生きなくてはいけない」

 そんな風に、ずっと思い込んでいました。
 だから、私の人生は、苦しく辛く、面白くも楽しくもない時を生きなければいけなかったのです。

 一方で、そんな毎日が辛くて、そんな人生を生きなければいけないのは、自分が頭が悪く、能力がないせいだ、と思っていました。

 だから、仕方がないんだ、と。

 でも不思議なもので、おいしいものを食べたり、楽しいことをしたり、生きがいを見つけようとしたりすることに対しては執着にも似た貪欲さを発揮していました。

 やりたいことができない、というジレンマと、自分と自分の人生に対する絶望感。

 でも、そんな中でも結婚をし、子どもを産み育て。

 それだけは人生の中で唯一幸せと呼べるものかも。

 結婚してほんのわずかな時期、そんな風に思えた時もありました。
 ですが、私は自分といつでも一緒なので、常に「ダメな私」といました。そのため、常に自己否定感と苦痛に晒されて、他のことを考える余裕はありません。

 一方、私たち夫婦関係はというと、表向きは恋愛結婚でラブラブな仲良し夫婦でした。
 でも、そう取り繕っていただけで、本当はそうではありませんでした。

 なぜなら、私が自分との向き合い方さえわかっていなかったからです。
 自分と向き合えないのに、他の人ときちんとした関係性が築けるはずがありません。

 夫には夫で別の理由がありましたが、夫も恐らく同じように自分と向き合えない人でした。
 無意識にその点に共鳴して惹かれたのかもしれません。
 私たちの、恋愛の延長の無邪気な結婚生活は初めから歪んでいたのです。

 それがとうとう目に見える形で崩壊したのは、40歳の前後数年のこと。
 私が准看護師免許をとる前後の数年でした。

離婚しようとして初めてわかったこと

 家事、育児、パートで生計も補填しながら、看護師になるための学業をこなすのは、正直つらかったです。それでもふんばれたのは、離婚しようと思っていたからに他なりません。

 離婚しても実家には帰りたくなかったため、一人でも生計を立てられるような職に就かなければいけません。そこで思い至ったのが看護師という仕事でした。

 ちょうど看護学校で勉強していたころが、夫婦関係が最も悪い時期でした。
 そんな中、ほぼ毎日。
 午前から昼まではパートで働き、昼過ぎから夜まで学校に行き、帰って家事をしているころに険悪な仲の夫が仕事から帰ってきて、当たり散らされながらその後宿題やテスト勉強に追われ、寝るのは深夜過ぎるころ、下手すると明け方近くまで喧嘩(私は防戦一方でしたが)。
 ふらふらになりながらまた仕事に行き…という生活を約3年続けました。

 免許とったら、ぜったいぜったいぜったいぜったい離婚してやる。
 免許とるか、(過労で)死ぬか、どっちかになるだろうな。

 という一心でこなしていたものです(笑)。

 私は、親に”私という存在に興味を持たれている”という感覚を持たないまま大人になりました。
 そうすると、『自分の気持ち』という存在さえ知らず、人の望みを叶えることで自分が満たされるような感覚になります。
 そのまま結婚したので、私は夫の都合のいいようにふるまうことが嫁として当たり前、好きな人の好きなようにすることが相手を大切にすることだと思い込んでいたんです。

 でも、それは私の本心ではなかったからこそ、やりたくない気持ちが無意識にあって、夫の思い通りに行動することができません。
 そうすると夫の不満を買うことになるのですごい勢いで当たり散らされ、自分はダメだと思い込む、という負のサイクルに入っていました。

 かといって、自分は本当はどんなことを考えているのか、何を思うのか、自分でわからないので、自分が本当に望むことも見つかりません。

 そのため、夫も私と離婚したいと思っていたとわかった時、『私の時間と肉体を捧げたのに、どうして』と、とても悲しい気持ちになりました。
 一方で、親との関係から得た『私は人に愛されない存在だ』という思い込みがあったため、夫に執着はなく、「だったら、夫に対してこれ以上私の時間や労力を割く必要はないはずだ」という気持ちが芽生えました。

 これまで、自分のことなど何も考えていなかったのに、人生で初めて、

『自分の時間や労力が惜しい』

と思ったのです。惜しい、もったいない、と思うということは、自分の時間や労力に価値がある、と考えることです。今までそんなことを考えたこともなかったのに、不思議な気持ちでした。

 その時に、結婚生活で初めて、夫の主張に「NO!」と言ったのです。

 雷に打たれたような衝撃が脳内に走りました。

 私がそれまで夫に対して常にYESと言っていたのは、私の気持ちではなかったことを。

 夫に限らず、他の人にも「(反論するとめんどくさいから)まあいいか」とYESと言っていたこと。

 「人は私の気持ちに興味がない」と思い込んでいたから、私自身の気持ちに向き合ったり、伝えようとしてこなかったこと。

 自分には何か別の想いや、やりたいことがあって、今の自分ではない別の自分になりたいと思っていること。

 自分がずっと自分を否定していたこと。

 そして、私ってなんだろう。という疑問。

 その時は、こんな風にはっきりと言語化できませんでしたが、私の中に現れた「NO」を、大切にするべきだ、という確信だけはありました。

人生初のイヤイヤ期

 子どもの頃から聞き分けのよい子ども、いい子だった私。
 その人生の中で、もっとも「イヤ」「NO」を連発したのが、夫と離婚するかしないか、の約半年でした。

 その時期は過労、睡眠不足で朦朧とした意識状態だったのと、自分でも初めて湧いた『自分の気持ちらしいもの』の取り扱いがよくわからず、戸惑いがありました。

 精神状態がボロボロだったのは自分がよく感じていたので、できるだけ自分に負担をかけないこと、イヤ、イイ、という気持ちをとりあえず優先する、ということだけに集中してみました。
 この後やってくるであろう離婚騒動に関係する、あらゆる闘いに備えて気力体力を温存しなくてはいけないですしね。

 そんな風にして、自分を癒しながら夫の出かたを探る数か月を送っているうちに、不思議なことが起こりました。

第7話 人は変われる


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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